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La Festa Primavera 2009 ダンロップリポート

La Festa Primavera 2009
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 ル・マンとダンロップの関わりは、さらに深まっていきます。1925年と1926年のル・マンを制したのは、フランスのロレーヌ。その足元を支えたのも、ダンロップだったのです。さらに1927年から1930年までのベントレー4連覇を支えたのもダンロップでした。
経営難に陥ったベントレーは1930年を最後に一旦ル・マンから距離を置くことになります。代わって1931年、ル・マンを制したのはイタリアのアルファロメオ8C。やはり、足元を支えたのはダンロップでした。参戦車両の国籍は変われども、勝利に欠かせないパートナーとしてダンロップが選ばれ続けたのです。ダンロップは卓越したテクノロジーで参戦車両の足元を支えることで、ル・マンのレースそのものを発展させたといっていいでしょう。
 今回の La Festa Primavera 2009 には残念ながらロレーヌや戦前のアルファロメオは参加していません。しかし健脚を披露した1955年製アルファロメオ1900スーパースプリント(Car No.40)や1956年製アルファロメオ・ジュリエッタ・スプリント・ヴェローチェ(Car no.49)には栄光の血統が確かに息づいています。とくに珠玉のDOHCエンジンが奏でるエンジンサウンドには心躍るものがありました。
 
JAGUAR XK120  ル・マンは1939年を最後に第二次世界大戦の影響で中断を余儀なくされます。戦前最後のウィナーもまたダンロップ製タイヤ装着車でした。フランスのブガッティ57Cです。戦後もまたダンロップは、ル・マンの栄光を支えていくことになります。 La Festa Primavera 2009 に集ったジャガーXK120などは戦後のル・マンを彩った強者たちです。
 1948年にデビューしたジャガーXK120は、ジャガーが戦後初めて本格的に取り組んだスポーツカーでした。
戦前から開発していた高性能エンジンに、ショーに出展するために急場しのぎで作ったボディを被せたのがXK120でしたが、美しさと力強さを兼ね備えたスタイルと、車名の由来となった時速120マイル(約192km/h)の最高速が評判となり、人気を集めます。そして、レースでの活躍が人気を後押しし、ついに「ル・マンに挑戦」となるのです。
 
 ワークスチームを結成したジャガーは、1949年のル・マンにエントリーします。しかし、結果は12位と惨敗。そこで、エンジンを高性能にし、コンペティション(Competition:競技)の頭文字である「C」を車名に加えたXK120C、通称Cタイプと呼ばれる競技専用車両を製作します。
すると、見事に1951年のル・マンを制覇。1953年にも優勝を果たしたのでした。ジャガーは1952年にメルセデスに3連覇を阻まれますが、1954年からCタイプの後継モデルとなるDタイプを投入。1955年から3年連続でル・マンを制覇し、スポーツサラブレッドとしてのポテンシャルを遺憾なく発揮しました。今回参加したジャガーは1953年製のXK120DHC(Car No.32)と1954年製のXK120(Car No.39)でしたが、この2台は優雅な姿だけでなく、栄光のヒストリーの体現車としても強烈なオーラを放っていました。

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