La Festa Primavera 2009 ダンロップリポート
1950年代のル・マンを席巻したのがジャガーなら、1980年代のル・マンを支配したのはポルシェでした。今回の大会には、ポルシェの基礎を築いた356が多数参加しました。その子孫がル・マンで大活躍をするのです。
936/81で1981年のル・マンを制すると、翌1982年には圧倒的な強さを誇る956を投入。1986年には956をベースに進化させた962Cを投入し、盤石の体制を敷きます。1987年のル・マンにも優勝し、ポルシェは7連覇を達成しました。そのポルシェの快進撃に待ったを掛けたのがジャガーでした。1984年にル・マンへの復帰果たしたジャガーは急速に力を付け、ポルシェのライバルにのし上がっていきます。
そしてついに1988年、ピットストップごとに順位が入れ替わる激しい戦いを制し、ジャガーがポルシェを下したのでした。1957年以来となる31年降りの勝利です。ル・マンで一時代を築いたポルシェの足元を支えたのも、歴史的な復活を遂げたジャガーの足元を支えたのも、ダンロップタイヤでした。
ところでダンロップといえば、サーキットのコースをまたぐように「DUNLOP」の文字をあしらったブリッジが有名です。
とくに、ル・マン24時間レースの舞台であるサルト・サーキットに設置されたそれは、ダンロップとモータースポーツの強く長い結びつきを象徴しています。日本国内では1965年に船橋サーキット(現存せず)に初めて登場しました。鈴鹿サーキットを筆頭に国内複数のサーキットで「ダンロップコーナー」の名が存在するのは、ダンロップのモータースポーツに対する熱い思いを表しています。
ダンロップは現在、世界の多くの国のツーリングカーレースやスポーツカーレースを支援しています。
厳しい競争が安全性や信頼性に関する技術を磨く──。これがモータースポーツに参戦する理由です。しかし、ダンロップはモータースポーツにもうひとつの大きな意義を感じています。モータースポーツがクルマ文化の原点であるという事実です。
ル・マン24時間レースと深い関わりを持っているのも、クラシックカー・イベントである La Festa Primavera 2009 へ協賛するのも、クルマ文化の担い手として活動したいという強い意思があるからです。
これまでの100年がそうだったようにこれからの100年も、ダンロップはクルマ文化の発展に全力を尽くします。